ごめんね
ああもっと、してあげたいことはたくさんあるよ
だいじなものがあるよ
だいじにしたいひとたちがいるよ
だけどどうしてわたしはいつも自分のことでいっぱいになってしまうの
悔いなく生きたいきもちがわずかでもよみがえるとき意欲が湧いてくる
いきることはだれかにほどこしほどこされ互いの心の中に自分の命を刻むことだ
そうして繋いでいく美しさ
りかいなんかされなくていい
つよくいきよう
はやく、ぬけださないといけない
LINKINPARK
久しぶりにLINKINPARKの音楽に触れた。
死にたさと生きたさの狭間を中和してくれる。
言葉にならない想いはいつも涙になる。
その心は
「1人にしないで」
の一点に限るのかもしれないと、思った。
社会や人間関係に対する不安が募る一方で人との関わりを欲する。
1人になることへの恐怖。
母がボソッと言ってた。
「親より先に死ぬのは最高の親不孝よ」
そんなこと誰よりもあなたたちにだけは言われたくない、と心底思う。
感謝もあるけど、憎悪の方がはるかに上回っていた。
LINKINPARKの音楽はどこまでも絶望で暗くて救いようがないから優しかった。
説教もしない、世界は明るいよ、とも言わない。だけど優しかった。
チェスターの笑顔を見ると救われたような気持ちさえした。でも彼が死を選んでから、私もそれを選択することができる、と思うようにもなった。
くだらない娯楽にまみれ、自己満足が渦巻くなか、世を魅了し内実共に世界的成功を収めた彼らを尊敬してやまない。
壊れ切った方が楽だと思っていたこともあったが、チェスターの死は限りなく素面だ。
わたしは優しい人が好きだ。
だけど優しい人はいつも何かに傷つき苦しんでいるように見える。
否、何かに傷つき苦しんでいるから、優しさを覚えたのかもしれない。
自分が傷つき苦しんでいたときに、慰めてくれたのは同じように傷つき苦しんで、それでも優しさを忘れなかった人たちの言葉や音楽だった。
だけど、もはやわたしは人に優しくできるような余力がない。
1人になれば訳もない涙にくれ、しらけるばかり。
これ以上足掻くのも辞めてしまいたい。
なにも選択できずにいるいまの自分が1番苦しい。
誰の心にも残らないならそれはそれでいい。
胃に詰め込んだ食べ物で苦しい。
なにが救いか、
いつまでも終わらない日を繰り返してるだけじゃないか。
そう思う。
いきる、ということ
むかし、いきる、ということについて
詩を書いたことがある。
当時好きだった学校の先生に見せたら、学級日誌?みたいなのに掲載してくれて、クラスのみんなにその詩を紹介してくれた。
作者は匿名にしてくれたけど
わたしと先生だけの秘密、みたいでドキドキして嬉しかったことを覚えてる。
変な意味じゃないです。
わりかし、わたしはすぐに人に懐くし、すぐに人を好きになる。そして人からも懐かれやすくて、良くも悪くも好かれやすい。
今になって思うのは
わたしにとって生きることは、人と関わることそのものだということです。
詩を書くときも必ず対象があって、
自己完結のようなものは一つも書けなかった。
むかしから、人と人との間に在る、若しくは、人と人との間に生まれる心の動きに心底魅了されていたように思う。
関心を寄せれば寄せるほど、相手からの関心が返ってくる。
好きになればなるほど、一緒にいるのが楽しくなる。
笑ってくれたり、喜んでもらえたり、時には涙して感謝されたり、自分のこと以上に相手のことを労わるほどに愛情を覚えたりしながら、わたしはそういう人の様がなにより美しいと思ってた。
自分のことなんかあまり考えなかった。
それよりも、大好きな先生、クラスメイト、部活仲間、家族、時には幼いながらも好きになった男の子、ずっとずっと人のことを考えていた。
それが楽しかった。
いつもまわりに誰かが居て、当たり前に泣いたり笑ったり怒ったりして、お互いの中にお互いが生きていた。
わからないけれど、わたしは生きることが好きだった。
でもいろいろなことがうまくいかなくなって、次第に小説や音楽の世界に逃げ込むようになった。それと同時に人との関わりが煩わしくなった。
夢見心地でいられるファンタジー小説を読み漁って、
憤りを絶叫する音楽に感情を委ねた。
肉体の限界まで走った。
今思うとあの時間が自分を壊したと思う。
でも、誰も止めてくれなかったし、誰も隣にいなかったから、止めることなんか最初からできなかったんだと思う。
いままで、美しさに生きてきた自分に初めて芽生えた絶望と憂鬱は、その後も執拗につきまとった。
でも、悪いことばかりじゃないと思う。
良くも悪くも、諦めのいい性格になった。
欲張らない、いつ死んでも悔いなし。
変わったことばかりでもない。
わたしは今でも人の中に生きたいと思っている。
それはほとんど無意識のうちに。
1人で生きていることに価値を見出せない。
だから、誰かの心に、誰かの中に、自分の生きていることを見出したい。
そうやって、ときには舵の取り方を誤ったりしながら、いろんなひとと関わってきた。
だけど、とぎれとぎれの関わりに、生きることが本当に喜びで在ると思えるほどの、価値を感じていたかと言えばそうではない。
今でもそう。
だけど、死ぬことよりかは、こうしてとぎれとぎれでも、人と関わりながら、生きている方がいいと思ってる。
その関わりが喜びになるまで、ある程度時間も必要だから。
むかしのように迸る情熱はないけれど、
でも、もっと優しく強くなったら、もっともっと誰かを生かすことができるかな。
そうしたら、わたしの人生も、悪くないなって思えるかも。
重たい人間なんです。
価値のある人生を送りたい。
最後に穏やかに笑って死ねたらそれでいい。
あなたのおかげで、幸せでしたって、言ってもらえるくらい、生きたいけどね。
ついてる
焼きそば作るぞーってなって
なぜかイカゲソをホットプレートにぶちこむ妹がかわいすぎた。。( ; ; )
やばいことに昨日から浜崎あゆみをずっとリピートで聴いてる笑笑
我ながらメンタル大丈夫か〜〜笑笑
でもね、A Song for XXは名曲だと思う( ; ; )
あんなふうに強い女性って憧れるなぁ。
わたしはまだぐだぐだ言わないと生きてけないし( ; ; )だれかにぎゅーってしてもらわないと寂しいし( ; ; )1人でつよく生きるぞ〜みたいなのできないんだ( ; ; )
そんな自分で嫌われちゃったらもうそれはどうしようもないと思う( ; ; )
痛い記憶とか傷ついたことって、思ったより昇華されないのね。
だから人に優しくあることで今までの痛みを自分なりに昇華しようとしているのです。
なかったことにはできないから。
きっと同じ想いをしたことがある人にしかわからないものを、わかってもらおうとするのは、無意味である以上により傷を深めるだけだと知った。
生理のせいもあると思うけど、すごく感傷的になりがちです、、、笑笑
1番つらいときに母親に見捨てられたっていう気持ちがどうしてもあって。妹2人を連れてでてった時のことがやっぱり許せなかったりする。ときおりね。わたしまだ中2とかだったから。
家のこと全部して、学校のことも部活のことも誰にも相談しないで1人でがんばってきたし、なんなら弟の面倒も見てた。朝四時に起きて、弟のお弁当作って、朝練行って、県の代表に選抜されるくらい部活もがんばって、そのせいで先輩にいじめられたけど、負けないでがんばって、へとへとになって燃え尽きて病みまくった…
それを思ったらいまはなんなら絶好調じゃん。
貯金もないし妹の学費にごっそり持ってかれたけど、地元に帰って飲みに行ける人もいて、一緒にいて心地よい人がいて、おかげさまでメンタル弱いけど生活力あるから、たぶんいつでも嫁に行ける←
優しさなんかなんの役に立つんだ、と思うけど
まぁ傷つけるくらいなら自分が傷ついてたほうがいいし。
なんにもないからこそなんでもできる。
理解なんかされなくても
わたしはわたしが心地よいと思うようにしか生きたくない。
まだまだこれから。
どろぼうの神さま
どんなにお金に困っても、これだけは売れない、と、
手元に置いておいた本が3冊だけある。
ドイツのファンタジー小説作家のコルネーリア・フンケさんの本だ。
全て高校生1年生の時に読んだ。
「魔法の声」は超大作で、続編の「魔法の文字」という作品もあるが、読んだ後どこかに紛失してしまったのか、実家にもなかった。
とくにわたしが1番好きだったのは「どろぼうの神さま」という作品だ。
物語の舞台は水の都ヴェネツィア。
オトナの探偵と、小さな子どものどろぼうのお話。
わたしが人生で初めて読んだ本は、「モモ」だった。
その時以来の感動だったように記憶している。
なかなか読み返すということはしないけれど、あのように物語と、その物語に出てくる街や登場人物がありありと浮かぶという体験はそうないように思う。
この作品の影響で、ヴェネツィアはわたしの憧れの街だ。
いつも何かに心を奪われて
見えない何かを恋しがり
空想するのが好きだった。
いつの間にか
世の中や自分の全てを見透かしたような
絶望のフィルターを通してでしか物事を捉えられなくなった。
わたしはわたしのこの染み付いた思考回路がとても嫌いである。
枕元に、大好きな本を置いて、夢の中で物語の中に入れますように、と、ワクワクしながら眠るのが好きだった。
明日はきっと、いい日になる。
夜になると涙がでるのは
この風車、よく覚えていて
実家にいくつもあった気がする。
色々な色の風車と、風鈴🎐、軽トラックの後ろを改装した車がうちに売りに来てた。
焼き芋屋さんと、靴下屋さんも、来ていた気がする。
おかんがお人好しやったから、一個でも買ってあげてたんやろうなと思う。
今日は体調が悪くて、家から一歩もでなかった。
夕方、おかあちゃんが心配して、大好きなごぼう天肉うどん(柳川のうどん屋さんの看板メニュー)買ってきてくれたから、食べたけど、半分も食べられんかった。
久しぶりに食べたらやっぱりおいしかった。
喉がカラカラで、みかんで🍊水分補給してた。
たぶん今日だけでみかん5個は食べたと思う。ビタミン取れたかな。
おかあちゃんと妹2人、寝静まって部屋に戻ってTVつけたら、NHKで、18祭、またやってた。
なんか今流行りのグループでとったね。
ワンオクの時の18祭は、めっちゃ号泣して、
若いって疲れるなぁ
と思ったのに
不覚にもまた号泣してしまった。
青春なんか味わう間もないくらいしんどかったから、なんか心残りがあるんやろ、思い出すのがしんどいことばっかりやし、感情に蓋をしすぎたのかもしらん。
妹2人と、おかあちゃんは、仲良く、真面目に、いい感じやし、わたし要らんなぁと思った。
ただ、親の保護にいるというだけで、自殺願望が半分くらい減るし、勝手に生活水準は守られるから、無理せんでも生きられるっていうだけ。
無職で迎える新年
妹たちには、お年玉あげられそうにない。
1人の空間がこわい。。とてつもなく。。
底抜けの寂しさ
誰もいないっていう…
おかあちゃんは、はよ結婚せんねっていうけど、その前に1人の人間として、どうなん。
がんばっても無理しても失うものが多かったと認めたくないんだねって人から言われて気づいたけど
これからどうやって埋めていくんやろ。
追われるものをなくしたとき
ふとなにか思いつくのかもしらん。
おやすみなさい。
くうはく
おかあさんが買ってくれたスリッパ。
水色にオレンジの差し色がかわいくてお気に入りになりました。
水色とオレンジ
最近好きな色なんです。
今日は朝起きてすげー吐き気で
バイトの面接も人と会う約束もとばして
昼過ぎまで寝てました。
午後から動き出して、
おかあさんとホームセンターに行って
お部屋のお掃除して
メルカリに出品しまくって
てきとーに夜ご飯たべてTVを流すように見てたらなんかすごい寂しい虚しい気持ちになってきたから、かわいい女の子見よーっと思って広瀬すずちゃんのついった見てたら可愛すぎてつらくなった(´;ω;`)
なんか、何がしたいのかよく分からなくなってきちゃって
かせぐために、働く、っていう思考回路がつらくて
働きたい→稼げた
っていう結果論的なことにならないかなと心を待ってるけど
くうはくもくうはくで耐え難きこと
実家だからよいものの。。。
スーパー行くとめっちゃスナック菓子ばっかり見ちゃう。、、、困ったな。。
やけ食いしたーい。
滅多に話さないおじちゃん(おかあさんのお兄さん)が、わたしが帰ってきたのおばあちゃんから聞いたらしくいきなりおうちに来たの。会ったの3年ぶり?
体調は大丈夫なのか?と聞かれて
元気にしとかやんたいって言われた。
なんか、体壊して帰ってきた設定みたいだった。笑
まぁそれもあるのだが、、、
やさしいひとは好きだ
でもわたしの居場所はどこなのだろう?という気持ちになった。
どうしてそんなに居場所がほしいのかねー。
明日はお掃除と、メルカリに出すもの全部まとめるぞー。
おかあさんに、あんたはよ結婚して子供産まんね、って言われたのが悲しかったです。笑
おしまい